やまいぬは書かねばと思った

私とあなたの世界は違うらしい

 

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「私とあなたの見ている世界は違うらしいじゃないか」という話がしたい

 

 

 

 

なんのこっちゃねん。

 

 

 

 

 

ざっくりと言えば、皆、同じものや世界を見ていると思いきや、
そこには個々人の主観や認知が入るから、その受け取り方は千者万別だよねっていう。

 

 

 


ほら。

 

 

 

 

よく言うじゃないか。

 

 

 

 

「ここに水の入ったコップがあります。

 

 

 

 

あなたは『これしか入っていない』と思いますか。

 

 

 

 

それとも、『まだこんなに入ってる』と思いますか。

 

 

 

 

 

物事はあなたの受け取り方次第。

 

 

 

 

 

何事もポジティブに考えましょうね」

 

 

 

 

みたいな。

 

 

 

 

かましいわ。

 

 

 

 

私はこの手の話が大嫌いだ。

 

 

 

 

なぜなら、私の大嫌いな先生が、よくこの手の教訓めいた話が大好きだったから。

 

 

 

 


でも、こういう話って、使い古されてて、耳にタコだ。イカだ。エビだ。おいしい。

 

 

 

 

なのに、話す側は、私たちが、さも、こんな話は初めて聞くでしょう?
みたいな感じのドヤ顔で話してくる。

 

 

 

 

うっとうしいったら、ありゃしませんて。

 

 

 

 


そもそも、私は高校というところが大嫌いだ。

 

 

 

 

尾崎みたいに、窓ガラス割ってまわりたいぐらいだ。

 

 

 

 


だから、この前の成人式兼同窓会なんか拷問みたいだった。

 

 

 


教わった先生たちの大半の逆鱗に一度は触れている。

 

 

 

 

別に窓ガラス割ってないし、バイク乗れないし、タバコも酒もやっちゃいないが。

 

 

 

 

なんだろう。

 

 

 

 

鈍くさい。

 

 

 


間が悪い。

 

 

 

 

終礼で先生が立っているのに喋り続け、
気づけば、皆、平然と裏切って、最後に笑っている一人。

 

 

 


全責任を負わされ、よく一人で居残りくらって掃除させられてた。

 

 

 

 

授業中に紙を渡せば、もれなく私の番で先生に見つかるし。

 

 

 


授業中、皆でこっそり飴舐めてても。

 

 

 


教科書忘れても。

 

 

 


宿題忘れても。

 

 

 


なんだか知らんが、狙ったように私だけバレた。

 

 

 


まぁ、実際に目はつけられてたのかもしれない。

 

 

 


そんなに悪気はないんだけど、どうも先生たちの怒りのツボを絶妙に押していた。

 

 

 


怒られるんじゃない。

 

 

 


ブチ切れられる。

 



 

烈火のごとく。

 



 

いやぁ、鬼の形相で怒り狂う先生たちを見て、

 

 

 

 

「私は絶対、先生にはなるまいて」と心にこっそり決めた。

 

 

 


ら、そんな不遜な態度が表れてたのか、さらに油をそそぐ、みたいなね。

 

 

 


クラスメイトとも、部活の人たちとも、その多くと気が合わなかった。

 

 

 

 

あっちゃこっちゃで、もはや目も合わせられないような絶縁状態の人ばっかりだったから、

 

 

 


廊下を歩くだけで、神経がすり減った。

 

 

 


だから、今、大学という自由の楽園が楽しくて仕方ない。

 

 

 


こちらの方が、よっぽど水があう。

 

 

 


何だっけ。

 

 

 


ああ。

 

 

 

 

そう。世界の見方の話。

 

 

 


最近、気づいた。

 

 

 


皆、違う人間だということ。

 

 

 


モノの考え方も見方も、違うということ。

 

 

 

「普通」や「常識」なんてのは、平均値でしかないってことを。

 

 

 


私の普通は、あなたの普通じゃない。

 

 

 


その逆も然り。

 

 

 


例えば。

 

 

 


私は文学部だから、よく短編読解をディスカッションしたりする。

 

 

 


異論がないだろう、と根拠を提示せず話を進めようとしたら、

 

 

 


隣の人が真逆のことを言いだすとか。

 

 

 


うそーん。

 

 

 

 

あと、一番大きかったのは、演劇だ。

 

 

 


私は演劇サークルに所属している。

 

 

 


もし、このブログでネタが尽きても、このキラーカードをまだ一度も発動してないから、
安心である。

 

 

 


脚本を書く。

 

 

 


喜劇。

 

 

 


上演。

 

 

 


「胸打たれる悲劇でしたね」

 

 

 


うそそーん。

 



 

ってのが、よくある。

 

 

 


普遍的な感情だと思って書いたら、そんな事なかったとか。

 

 

 


ざらにある。

 

 

 


びっくりドンキー。ウホウホどすこい。

 

 

 

 

とんでもねぇ

 

 

 


みんな違って、みんな良いってのは、それこそ耳タコだけど、

 

 

 


みんな、それは私も含め、違う人間なのだということを体感した。

 

 

 


それは、まさに衝撃。

 

 

 


ある意味、大学という場所柄なのかもしれない。

 

 

 


中高は「皆、一緒」が表裏そこかしこのテーマみたいなものだった。

 

 

 

だけど、今、
「絶対」なんか、ないんだなって、知った。

 

 

 


何が言いたいかっていうと、個々を尊重し合いましょうみたいな、
教科書みたいな偉そうなことを言いたいんじゃなくて、

 

 

 

 

自分の中の思い込みに気づくって大事だなってことだ。

 

 

 


Twitterや、それこそ大学の友達にも、
自分を不細工だと信じて疑わない人や、自分なんか良いところがない、と言う人がいる。

 

 

 


私もかつては、そうだった。

 

 

 


私は人から言われたことを良いことも悪いこともしぶとく覚えてる
(だって、それをネタにブログ書いてるようなもんだ)方だけど、

 

 

 


私が今まで言われた中で一番ひどい暴言は

 

 

 


やまいぬって、整形しないの」

 



 

「? しないよ」

 

 

 


「そんな顔でこれからも生きてくつもり???」

 



 

次に会った時がお前の命日だかんな。

 



 

だから、中高時代は自分は鏡も割れるような不細工だと思ってた

 

(わざわざ割ってまわる必要ないって、そういう事じゃない)

 

けど、大学入って、メイクとお洒落を勉強したら、それだけで大分、見違えたってのは、
このブログで再三言っている。

 



 

自分なんか絶対、幸せになれないと思ってた高校時代、
今の私を見たら、間違いなく泣く。嬉しくて。

 



 

「常識とは、18までに集めた偏見のコレクションである」

 



 

ってのは、アインシュタインの言葉だ。

 



 

オギャーとこの世に生まれてから、18までに
幼子はトライ&エラーを繰り返して、生きる術を身に着ける。

 



 

どんな偏見も、それを取り入れた幼き当時の自分にとって、何かしらのメリットがあったからだ。

 

 

 


「自分が嫌い」と言うのだって、自分でそう考えることで、何かが守られてたのだ。昔は。

 

 

 


それは、人それぞれ違う、自分ルールのようなもの。

 



 

しかし、そのルールだけ残って、上書き保存されないまま、
初期設定で大人になってしまうことがある。

 

 

 


それが上手く機能すればいいが、逆に変わりゆく現実とうまく調整がきかなくなって、
不具合が生じ、自分を傷つけてしまうことがある。

 

 

 


でも、それは自分にとっては「常識」だから、気づけない。

 

 

 


疑いようもない、「常識」は、信念のようなものだ。

 

 

 


それを塗り替えるのは、なかなか難しい。

 

  

 


それは、ものの見方にも強く影響する。

 

 

 


そこで「水の話」になる。

 

 

 


水、程度ならいいのだが、これが深刻になってくると、

 

 

 


つまり、もはや良い事も曲解して、悪く解釈したり、
極端に狭い視野で、自分を攻撃するようなものしか見れない状態、

 

 

 


これが、うつだ。

 

 

 


(間違ってたら、ごめんなさい。正確なのは、ググってね)

 

 

 

 

私は今現在、うつではないが、受験期から体調を崩したことがあり、


私の部屋の本棚には心理学やら何やらの仰々しい本がずらりとならんでいる。

 

 

 


私はガイドブックオタクなのだ。

 

 

 


悩むとすぐ、本屋に走って、答えが書いてありそうな本を片っ端から買いあさる。

 

 

 


おかげさまで「精神科が教える恋愛成功本」「本当に似合うが分かる本」から「脚本講座」、
「魅せるリーダーシップ論」みたいのまで、幅広く、雑学的な本が並んでいる。

 

 

 


中高時代、友達も信頼できる先生も少なかったから、悩み事は全部、本の中の先人の知恵に頼った。

 

 

 

 

どうだ、かわいそうな奴だろう。

 

 

 


で、話がそれたけど、何も「思い込み」の罠みたいなのは、
ネガティブなことだけじゃない。

 

 

 


自分にとっては何てことないことが、実は他の人から見れば、ものすごい技だ武器だ
なんてパターンもある。

 

 

 


「当たり前」の中に、光る原石が埋まってるかもしれないよって話。

 

 

 


まぁ、そもそも、このネタをブログで書こうと思った一番の理由は

 

 

 


このブログや普段のツイートを読んでくださる方の中で、

 

 

 


こんな、やまいぬ太郎のことを、恐れ多くも、

 

 

 


「可愛い」と言ってくださる方がいるからだ。

 

 

 


有り難いことに、沢山の方が言ってくださる。

 

 

 

 

びっくりドンキー。うほほーである。

 

 

 


可愛い?

 

 

 


私が?

 

 

 


ひえー。

 

 

 


今日も私の世界は変わる。

 

 

 

 

 


明日は何色かいね。

 

 

 

 

 


今日は「私とあなたの世界は違うらしい」という話でした。

 

 

 


続きは、また今度。

 

 

 


やまいぬでしたʕ ・(エ)・ʔ

 

 

✽+†+✽――✽+†+✽――✽+†+✽――

 


あなたと私の世界の色を
混ぜて重ねて新しく
愛しく哀しく美しく
生まれた色で 明日が変わるよ