やまいぬは書かねばと思った

男と、女と、あなたと、わたし

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男とか女とかって何だろねって話がしたい。

 

 

 

 

今日は、早速、ある詩集を紹介したい。

 

 

 

 

 

 


江國香織×森雪之丞「扉のかたちをした闇」

 

 

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表紙がお洒落である。

 

 

 

 


この詩集はお二方の連弾なのだけど、帯にも書いてある詩が私は特に好きだった。

 

 

 

 


また、例の如く、横書きで申し訳ないが、抜粋してみる。

 

 

 

 

 

女たちは


                                             江國香織

男のひとは

愛に疲れやすいので

愛に倦まない女たちは

自分ひとりで愛に溢れる


無いかもしれない窓をあけ

無いかもしれない風をうけとめ

無いかもしれないりんごをむいて

無いかもしれないゆりかごを揺らす


無いかもしれない床を掃き

無いかもしれないシーツを洗い

無いかもしれない光のなかで

無いかもしれない幸福に目を眩ませる


無いかもしれない腕に抱かれて

無いかもしれない星を眺め

無いかもしれない思い出を抱き

無いかもしれない永遠を生きる


女たちは

愛に溢れる

どうしようもなく

愛に溢れる

朝も昼も夜も

男のひとが

愛に倦んでも

 

 

 

 


男たちは


                                               森雪之丞


女のひとは

愛をむさぼり生きるので

愛を産めない男たちは

夢を耕して愛を補う


あるに違いない未来を語り

あるに違いない成功に酔い

あるに違いない幸福に目を細め

あるに違いない平凡を享受する


あるに違いないりんごを頬張り

あるに違いない哺乳瓶を冷まし

あるに違いない住宅ローンも厭わず

あるに違いない愚痴にも耳を傾ける


あるに違いない浮気を隠し

あるに違いない苦難を乗り越え

あるに違いない「やがて」に脅えながら

あるに違いない別れの朝まで


男たちは

夢を耕す

愛を補えると信じて

夢を食わせる

朝も昼も夜も

女のひとが

消化しきれず夢を吐いても

 

 

 

 

うむ。

 

 

 

 

好きって、書いたけど、

 

 

 

 


好きじゃないかも、やっぱり。

 

 

 

 

 

だって、悲しすぎるじゃないか。

 

 

 

 


文字を打ち込みながら、何だか切なくなってしまった。

 

 

 

 


何で、切ないかって。

 

 

 

 


何で、悲しいかって。

 

 

 

 


分かってしまうからだ。

 

 

 

 


泣きたくなるほど、もう一人の自分みたいなやつが、

ああ、分かるなあって頷いてしまっている。

 

 

 

 


分かるなあ、というよりか、

 

 

 

 

分かる気がする。なんとなく。

 

 

 

 


お子様で夢見がちな甘ちゃんである私は、

頑なに、「きっとあるはずだ、あるにきまっている、ないわけがない」

と、言い聞かせながら生きているけれど。

 

 

 

 


「どうか、あってほしい」

 

 

 

 


「お願いだから、ないなんて言わないで」

 

 

 

 


そんな、気持ち。

 

 

 

 


「あるような気がする。あるといいな」

 

 

 

 

 

「ないのなら、どうしようかな。ないと困るなあ」

 

 

 

 


みたいな。

 

 

 

 

あと、もう一つ紹介したい本がある。

 

 

 

 


角田光代×穂村弘「異性」

 

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表紙が表紙だから、電車で読むには勇気を要する。
かわいいけども。

 

 

 

 


これはお二方の連弾エッセイ。

 

 

 

 


この本にはいろんな女と男って何ぞやって話が出てくる。

 

 

 

 


例えば。

 

 

 

 

「別れた人には不幸になってほしいか」問題

 

 

 

 

角田さんの場合。

 

 

 

 

「うーん。私はどうも、ふられた直後は『不幸になれ』と願うが、日が経つにつれ、あるいは自身が新しく恋愛をはじめるやいなや、別れた人のことなどどうでもよくなるのである。」(p.131)

だそうだ。


ちなみに、角田さんはこの章で、こうも言っている。

 

「自分でもうまく説明できないのだが、私が小説を書こうと思い、書き続け、なお書きたいと思う、その核の部分は、きらきらとまぶしい正のものではなくて、黒くてゆがんだ湿った負のもの、という気が、どうしてもしてしまうのである。だから本当は、『どうでもいい』派に無理矢理自身を押し入れて、安堵したりしてはいけないのだ。それがもしかして『まだ好き』の裏返しであろうと、私をふった男よ不幸になれと、念じていなければならないのである。」

 


これには、激しく同意する。

ネットで言うところの、禿同というやつだ。


ちなみに前にも、このブログで書いたが、私の処女作(小説)は、大学に入って最初にフラれた中原くんとの話を元にしたセンチメンタルファンタジーだし、ついこの間、年末に上演した私の劇は、これまた、夏にフラれた虎雄との話を元にしたお洒落ナンセンスコメディーだ。

 

 

 

 


どっちもフラれた時に言われた言葉をそのまんま作中でセリフにしてやった。

 

 


観客席や読者の心に共感と感動の嵐が巻き起こると思いきや、

 

 

あまりに個人的な心情だったから、「主人公に自分を重ねる」とはいかなかったらしい。

 

 

むしろ、ちょっと、引かれた。

 

 

なんでやねん。

 

 


どちらも私ベースなものだから、作品に対する批評が、
そっくりそのまま、私の人格否定みたいな刃となって、

 

それはそれは、えぐい傷を負う羽目になった。

 

 

皆、容赦ないのな。

 


ありがとう。そんな真剣に鑑賞してくれて。

 


次は完全なフィクションで書こうと思うよ。

 

 

それと、恋愛絡みじゃない話ね。

 

 

 

 


脱線したけど、さっきの角田さんに対して、穂村さんはというと、

 


「云い方を変えると、関係が終わって現実の相手の姿が視野の外に消えてしまったあとも、まだ5%くらいは自分の女だと思っているのだ。5%が無理なら、3%、3%が無理なら1%……、限りなく0%に近づいても0になることはない。
  そして、この無根拠な思い込みが90%とかになると、立派なストーカーの出来上がりだ。現実の状況がどうであっても、自分の脳内では依然として俺の女なのだから説得のしようがない。そのような幻想ホルモンが分泌されているのだろう。
  しかし、個人差はあっても、おそらくはノーマルな男性の脳からも同じ液が微量にはでていると思われる。だから、別れたあとも嫌いにはならない。まだ5%は自分のものだから。」(p.135)


だそうだ。

 

 

 

 

 

この前の冬、ダンディ先輩とヘプバーン先輩の家で、私とミカンを交えて
クリスマスパーティーが催された。

 

 


そこで各自がおすすめの本をプレゼント交換した。

 


私はこの『異性』をプレゼントした。

 

 

 

 

私の『異性』はヘプバーン先輩の手に渡った。

 

 

 

 

すっかりハマった先輩たちに後日招かれて、
大討論会になった。

 

 

 


そこで、さっきの「別れた相手には不幸になってほしいか」問題も論議された。

 

 

 


ヘプバーン先輩とミカンは「断然、不幸になってほしい派」

 

 

 

 

私とダンディ先輩は
「幸せになってもいいけど、自分よりちょっと不幸であってほしい派」だった。

 

 

 

 

「私、虎雄には幸せな家庭を築いて、貧乏な家で卓袱台囲んでほしいです」

 


って言ったら、

 


「えー、じゃあやまいぬは裕福だけど、不仲の家庭の方がいいんだ?」

 


「そっちの方が悲しくないか」

 


やまいぬは意外と資本主義に染まってんだな」

 

 

 

「むなしい」

 


「むなしい、やまいぬ……」

 

 

やまいぬさん、かわいそう……」

 

 

 

「すみません、悔い改めます」

 

 


そんな目で私を見ないでほしい。頼むって。

 

 

 

 

愛も金も手に入れるべく、日々努力を惜しまない所存にて。

 

 

 

 

 

こんな下衆なこと言ってるから(以下略)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は人生の大半を女子に囲まれて生きてきたから、異性というものの存在を長らく意識してこなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

私 対 ひと

 

 

 

 


その構図でさえ、けっこう不可思議なことが多くて大変だったのに、

 

 

いきなり、「ひと」が「おとこのひと」と「おんなのひと」に増えてしまったから、最初は混乱した。

 

 

 

 

 

 

 

 


さらに授業や本で、「おとこ」「おんな」の二元論で済む話でもない、ということを知る。

 

 

 

 

 

 

 


混乱。

 

 

 

 

 

 

 


結局、「私 対 ひと」に戻ってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私  対  ひと

 

 

 

 

 

 


私 対 あなた

 

 

 

 

 

 

 

私 と あなた

 

 

 

 

 

 

 


話しましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 


お茶でも飲みに行きましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


おいしいケーキを食べましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたの話を聞かせてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、聞いてください。

 

 

 

 

 

 

 

 


私の話を。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は「男と、女と、あなたと、わたし」という話でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続きは、また今度。

 

 

 

 

 

 

 

 

やまいぬでしたʕ ・(エ)・ʔ

 

 

✽+†+✽――✽+†+✽――✽+†+✽――

 


今日は良いことがありました
あなたに会いたくなりました
あなたは良いことありましたか
あなたは私に会いたいですか