やまいぬは書かねばと思った

お久しぶりです。

久しぶりにブログを更新しよう、と眠れない日曜から月曜へと日付が変わったベッドの中で思い立った。

 

そう、眠れない。

 

眠いんだけど。

 

眠れない。ちっとも。

 

頭の中がうごうごと蠢いている。

 

ごうごうと、まるで台風のように。

 

ベッドの中、暗い部屋、じっと嵐が過ぎるのを待ってはみたが、激しさを増すばかり。

 

このままでは濁流に飲み込まれてしまう。

 

だから、書かねばならぬ。やまいぬは久しぶりに、

 

正確に言えば、初めての彼氏と破局して以来、

 

やっと重い腰をあげて、

 

書いてみようかな、と思ったのだ。

 

うごうごを。

 

ごうごうと。

 

傲慢に。

 

強欲に。

 

文字にして、頭から出してやらねば、私は溺死してしまう。窒息してしまう。

 

ぶくぶくと深い海の底。光も差さず。絡みつく藻。

私は継続力がない。分かっている。

 

私は短距離ランナーだ。マラソンは向いていない。

 

ADHDのグレーゾーンで、いわゆる衝動性の色が強い。

 

中学の時、友人には「一途な暴走機関車」と揶揄された。

 

私が書く文章だって、書いてるそばから、次々と色々なことが思い浮かぶものだから

 

つらつらとあっちゃこっちゃに流れるし、飛びまくる。

 

そんなへたくそな文章を、継続力のない私は、

 

それでも懲りずに離れられないでいる。

 

よーいどん、で、がむしゃらにキーボードを叩き、

 

息切れして、しばらく書くのをやめる。

 

留学後の逆ホームシックでやめる。

 

大学のサークルに手一杯でやめる。

 

失恋してやめる。

 

新社会人になってやめる。

 

でも、またこんな深夜に書いている。

 

離れても、しばらくすると、戻って来てしまう。

 

何度、コースアウトしたか分からない。

 

これからも、どうせまたすぐ場外へ逃げる。

 

それでも、このレースに戻って来てしまう。

 

性であり、業であり、意地であり、執着であり。

 

スラムダンクに憧れて入った中学のバスケ部は、

 

「あー自分は桜木花道にはなれないな。と早々に諦めがついたのに、

 

こればっかりは、文章ばっかりは、どうしても、

 

試合放棄をできないのだ。リングから降りられない。

 

降りても、のこのこ戻ってきてしまう。

 

どこかで自分は桜木花道になれると信じている私がいる。

 

どでかい熱いドラマの主人公だと、

 

そうでありたいと思ってしまう、自分が、

 

たぶん、小学生の頃から、そんなに変わることもなく、

 

私の真ん中にどかんと居座っている。

 

皆、そういうものだと思っていた。

 

ところがどっこい、そうじゃないらしい。

 

有り難いことに私は今までの人生で、書く機会を与えられる環境に身を置いてきた。

 

書いて、それが人の手に渡り、目にうつる、そんな場に。

 

例えば、それは小学校の学級新聞。

 

例えば、それは中学の読書感想文。

 

高校の校内新聞。

 

大学の創作演習と演劇サークルの脚本。

 

そうやって、なんやかんやで、書いて、褒めてもらう、好きだ、面白いという

 

そんな言葉を人からもらうことを生き甲斐というか、でもそういって差し支えない欲求を糧に今まで生きてきたのだ。

 

それが、当たり前だと思っていた。

 

皆、そんなものだと。

 

言わないだけで。

 

でも、どうやら違うらしい、と会社に入ってみて、思った。

 

書きたがり、はここには見当たらない。

 

皆、そういう欲というか、病を持ち合わせている人は、どうやら珍しいらしい。

 

皆っていうのは乱暴な言い方だけど、多くの人にとっては。

 

今まで、私と似たような人が集まるコミュニティに流れ着いて、ぬくぬくと居心地よく、属していたから、それは新鮮だった。目から鱗ぽろりぽろり

 

そして困るのは、新入社員には、書く機会なんか与えられないということだ。

 

報告書は書く。日報も書く。

 

だけどここには、私が今まで生きてきた文化はない。

 

遊びはない。

 

ないなら、作ってしまおうか。

 

最近、そんなことを想い始めた。

 

ないなら、私が始めればいい。

 

巻き込んで、味方にして、共犯になって、応援団。

 

今は、配属1カ月目のペーペーのくせして、

 

早速、社内サークルの立ち上げ方を模索している。

 

社内文芸サークル。

 

創作サークル。

 

まずは同期を巻き込もうと、今、勝手に思っているところ。

 

ここらへんの行動力は、持ち前の衝動性の強みだと思う。

 

4月は、3月に破局した反動で、手当たり次第に、男を追っかけていた。

 

まるで何かのまじないのように、「彼氏…彼氏…」と飢えていた。

 

街コンをはしごし、マッチングアプリをいれまくった。

 

恋愛商戦では、男女格差が激しい。

 

今日行った街コンは、女子500円、男子は7800円だった。

 

マッチングアプリは男子は月3000円、女子は無料だ。

 

だから、お買い得なのをいいことに、存分に男漁りに邁進した。

 

1月で10人の男性と飲みに行った。

 

その中には勿論、手が早い方もいらっしゃり、

 

いざ迫られると、しっぽを巻いて逃げ帰った。

 

火遊びをしても、頭の中で母と友人一同が

 

ホテル街への誘いを頑なに阻む。私はその声に従う。

 

それが私の火遊びのルール。掟だからだ。

 

結局、びびりなのである。引き返せなくなるのが怖い。

 

そして一か月、男の尻を追っかけて、5月。

 

分かったことは、不治の病である「カレシホシイ」はむなしいだけだということ。

 

むなしい。

 

ムナシイ。

 

なんだこの虚無感は。

 

焦燥感と飢餓感に突き動かされて、大して好きでもない他人とごはんをたべても

 

ちっとも楽しくない。

 

そう。楽しくない。

 

お金がかかるし、どんどん太る。時間を失う。

 

1カ月しゃかりきに恋活をして、得たのは、そんな教訓。

 

好きな人は、作るものではないなと、なんて当たり前の事に気が付いた。

 

その衝動を、ありあまるエネルギーを

 

どうか創作に向けられますように。

 

そっちの自分の方が好きでいられる。私らしい。

 

評価されるばっかりを目指すのではなく、

 

初心に帰って、創作を楽しみたい。

 

楽しんで、皆に読んでほしい。

 

面白がらせたい。

 

唸らせたい。

 

感動させたい。

 

そう。感動させたいのだ。私は。

 

それを、どうか忘れないで。私よ。

 

彼氏はそのうちできる、はずだ。

 

彼氏ほしいと言うと、どうやら神様は出会いを遠ざけるらしいから。

 

またしばらくは、どっぷりと、創作の海に潜ってみよう。

 

真珠の一粒くらい、落ちているかもしれないし。

 

そんな支離滅裂なことを、月曜になった深夜1時に思ったのでした。